女性性リーダーシップの時代へ

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世界で奮闘する女性リーダー

連日、新型コロナへの現状や対策が報道される中、ニュージーランド、台湾、ドイツ、アイスランド、フィンランド、デンマークなど、女性トップリーダーのその手腕が高く評価されている。

その中でも、ニュージーランドの首相であるアーダーン首相(39)は、早期の対策によるコロナの封じ込み成功だけでなく、国民に寄り添い、親しみやすく思いやりのあるメッセージを発信しており、正直このようなトップがこの地球に存在することに安心感を覚える。

ニュージーランドは、現職のアーダーン首相を含め、これまで3人の女性首相が誕生しており、女性が最も活躍できる国として、様々な人種が暮らす多民族国家として発展している。

これは個人的な願いでもあるが、自分が死ぬときには、日本においても女性が国のトップリーダーになることが当たり前の社会になっていてほしいと思う。

もっと言えば、性別がどうとか、所属がどうとか、年が若いとか経験があるとか関係なく、その実力によって誰もが平等に機会が提供されることが当たり前の社会であってほしい。

それは、人間の価値はラベルにあるのではなくその人自身にあり、偏見や差別なく誰もが自分が自分であることを許される多様性の社会だ。

しかし、ガラスの天井というメタファーがあるように、マイノリティ(少数派)や女性が要職に就くことを妨げる見えない障壁が今尚存在するのは事実だ。

例えば、国会を見れば女性の少なさは明らかであり、企業も同じで、女性活躍推進法が制定されて5年が経過したと言えども、“2020ガラスの天井指数によると、日本企業における女性管理職は管理職全体の14.9%2020年までに民間企業の女性管理者の割合を30%にするという政府のスローガンが掲げられているが、現実は全く追いついていない。

世界的に見ても日本は男女のキャリア平等については先進29カ国の中でも最下位から2番目という位置づけであり、今尚全体に占める女性リーダーの割合は圧倒的に少ない。

私が関わっている医療福祉の世界は、女性が多い職場ではあるが、それでもトップリーダーとなると圧倒的に男性が多数を占める。

そして、誤解を恐れずに言えば、その中の数少ない女性リーダーも、男性中心の競争社会の中では、男性性が強い女性リーダーしか生き残ることが難しく、極端に言えば、自分の中にある女性性を切り離すことが、競争社会で生き抜くための生存戦略になっているように思う。

しかしこれでは、男性社会に女性が適応させているだけであり、女性が本来持っている素晴らしさが殺されてしまっているように思う。

M&A(合併買収)で企業を発展させてきた日本電産の永守社長は、この度のコロナショックを受け、あるインタビューでこのように答えている。

「利益を追求するだけでなく、自然と共存する考え方に変えるべきだ。50年、自分の手法がすべて正しいと思って経営してきた。だが今回、それは間違っていた。テレワークも信用していなかった。収益が一時的に落ちても、社員が幸せを感じる働きやすい会社にする」

資本主義経済における日本の代表的な経営者である永守社長がこのような発言をすることは衝撃的だ。

時代は、男性性偏重の競争社会から女性性復興の共生社会へと移り変ろうとしている。

そして、そんな中求められるリーダーとは、権力によって他者を支配し、打ち負かすリーダーではなく、共感によって他者に寄り添い、共に歩むことができるリーダーではないかと思う。

愛なき力は暴力、力なき愛は無力

本来、男性性とは、外側に向かうエネルギーであり、女性性とは、内側に向かうエネルギーでのことを言う。

一般的には、それは外向的とか内向的と表現され、外向的な人は明るくて社交的、内向的な人は暗くて人見知りといった、性格を表す要素として表現されている。

おそらく、外向的だねと言われて嬉しい人はいても内向的だねと言われて嬉しい人はあまりいない。それは、その言葉の意味が社会的に誤って認知されているからだと思う。

外向的か内向的かの本来の意味合いは、心が外側に向かうのか、心が内側に向くのか、心の向く方向性の違いであり、性格を意味するものではない。

例えば、今このように文書を書いていること一つでとっても、書く行為そのものは言語を創り外側に表現するが、そもそも何を想い、何を書くかはまず内側にグーっと意識を向けている。

例えば、歌手は自分の内側にある様々な想いや葛藤を言葉に乗せ、歌として外側に表現するし、料理人は自分の内側にある世界観を、料理という形で外側に表現する。

別の表現をすれば、男性性は知性や思考を働かせ、女性性は感覚や感性を働かせる。男性性はどう行動するかに向き、女性性はどう感じるかに向く。男性性は社会を象徴し、女性性は家を象徴する。つまり、男性性とは力であり、女性性とは愛を意味する。

黒人差別の撤廃のため、非暴力による公民権運動を率いたキング牧師(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア)は、次のように言っている。

『愛なき力は暴力、力なき愛は無力である。

歴史上の大問題の一つは、愛と力の概念が、たいていは相反するもの、対極にあるものとして対比させられてきたことです。

その結果、愛は力の断念と同一視され、力は愛の否定と同一視されています。

私たちが理解しなければいけないのは、愛なき力は無謀で乱用をきたすものであり、力なき愛は感傷的で実行力に乏しいものだ、ということです。

現代の深刻な危機を生み出しているのは道徳なき力と力なき道徳の衝突なのです』

生きるとは、本来、女性性と男性性の循環であり、言い換えるとそれは、純粋性を爆発させることなのだと思う。

そのように考えると、男性性も女性性も人間に本来備わっている性質であり、どちらも必要な心の向きであることが分かる。

人は女性性によって癒される

男性性偏重の社会における最大の副作用は、人が女性性と切り離されてしまうことだ。とりわけポジションが上がれば上がるほど、その切り放しが顕著になりやすい。

女性性の最大の強みは、共感性だ。共感性とは、他者への共感であり、自分自身への共感である。つまり、相手は何を感じているのか、その想いに寄り添い、自分は何を感じているのか、その想いに寄り添う力のことを言う。そして、それは単位を広げれば、人々への共感であり、永守社長の話で言えば、自然との共存、社員の幸福という意識転換は、切り離された女性性との繋がり直しを意味する。

極端な言い方をすれば、競争社会を勝ち残るためには、女性性は邪魔になる。いちいち相手の痛みを気にしていたら先に進めない、いちいち傷ついていたら前に進めない。だから、男性性を強めれば強めるほど、自分の中の女性性が切り離されていく。そして、いつしか人の気持ちが分からない、自分の気持ちが分からない、といったような不感症になってしまう。

自分の内側にある心はとても柔らかくてピュアなものだ。だからそこに触れると傷つきそうで、反応的に外側に意識を向けてしまう。それは、自分の気持ちを切り離して、行動していた方が一時的には楽だからだ。

しかし、傷つくことを避けているように見えて、実際には切り離された女性性が一番傷ついている。それは、本当はあるものに意識を向けてもらえなかったことへの痛みだ。

例えば、私が以前勤めていた会社は成果主義の競争社会だった。業績を上げること、成果を出すこと、そのために能力を高めること、現実こそが全てであり、感覚や感情など曖昧なものは何の役にも立たない、そう思っていた。

役に立たないからと言えば聞こえはいいが、本当のところは、傷つくことが怖かったのだ。もっと言えば傷ついている自分を他者に知られることが怖かった。それは、男性性のみが自分の価値であり、それを失うことは社会的に死ぬこと、つまり自分が必要とされなくなることを意味していたからだ。孤独こそが恐怖だった。だからどれだけ苦しくても、どれだけ不安でも、その痛みから自分を切り放し、麻痺させ、大丈夫なフリをした。それしか繊細な自分の内側を守る術がなかったのだと思う。

でも、実際には傷ついていないようで、自分の中にある心はズタズタに傷ついていた。自分の中にある様々な気持ちを無視し続けてきたこと、自分の中に確かに存在している様々な自己や可能性を否定してきたことそのものが傷であったことを知り、その瞬間、ずいぶんと長い間、内側の声に耳を傾けてこなかったことに気づき、自分で自分に申し訳ない気持ちで一杯になった。

人は女性性によって癒される。自分の内側に意識を向ければ向けるほど、様々な想いがあったことを知り、自分が癒されていくことに気づく。それは、ないことにされていた自己が受容されたからだ。そして、自分の傷に目を向ければ向けるほど、他者の傷や痛みを感じるようになった。自己共感は他者共感そのものだった。自分を受け入れるとは他者を受け入れることと同義であり、それが女性性の持つ傷を癒す力、共感する力、受容する力なのだと思う。

自分と繋がり、他者と繋がる

たまにリーダーの方から「自分は威厳がないからリーダーに向いないと思う」とか「威厳はどうしたらできるのか」といった相談を受けることがある。はっきり言えばそれは男性性が正解という囚われであり、威厳があるとかないとか、そんなことは正直どうでもいいことなのだと思う。

ないものに憧れるのではなく、自分の内側にあるものに目を向ける。自分は何を感じ、何を大切にし、それをどう表現していくのか、それによって共感、共振、共鳴が生まれる。なぜなら、自分の内側にあるものは、他者の心にも等しく存在しているからだ。それが、人と人が繋がるということではないかと思う。

だからこそ、他者と繋がるためには、まず自分自身と繋がる必要があり、言い換えれば、自分自身と繋がることで、人は初めて他者との繋がることができるのだと思う。

経験的に言えば、男性性が強い人は、実のところ女性性が深いと思う。傷つきやすさとそれを守るための表面の皮膚の厚さは比例するからだ。傷の深さは共感性のポテンシャルの高さへと転化する。だからこそ、男性性の強いリーダーが女性性を取り戻してくことで、世界はもっと優しく、それでいて力強いものになっていくのではないかと思う。

コロナショックによって経済的にも精神的にも様々なダメージを受けている。この痛みは私たちに何を教えてくれるのか。その受け止め方は人それぞれであると思うが、私自身で言えば、人類が本来持っている女性性を取り戻してくための大きな転換点であることを教えてくれているのではないかと思う。

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