上司は「難しい部下」とどう向き合うべきか

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難しい部下ほど小手先は通用しない

年末、ごくせん2の再放送をたまたま目にし、

もう涙が止まらなく、、、

これ2005年、

15年前のドラマなんですね。

でも全く色あせていません。

指導者として人とどう向き合うべきか、

その根本を教えてくているように思います。

さて、

管理者・リーダーの悩みの大半は対人関係です。

中でも自分にとって難しい部下というのが、

必ずテーマに挙がります。

それは人によっては、

プライドが高く、自分を受け入れていない反抗的な部下かもしれません。

何度も同じ失敗を繰り返し、改善が見られない部下かもしれません。

何を投げかけても反応がない、全く意思疎通が図れない部下かもしれません。

個としての能力は高くても、他者と協働することができない部下かもしれません。

現場代表者のようにスタッフを扇動する、声が強く影響力のある部下かもしれません。

いずれにしても、

そのような部下と対峙すると

ざわつきます。

心が乱されます。

反応します。

そんな難しい部下との関係性、どう指導したらよいか、という相談は、

私がこれまで管理者・リーダーの方から相談を受けた中でもトップ3に入るぐらい、

多くの上司が抱える悩みの一つであると思います。

人材育成には、様々なテクニックや方法論があります。

もちろんそれは大切です。

しかし、小手先で動いてくれるほど人は簡単ではないと思います。

むしろ、上司として悩む部下というのは、

小手先ではどうにもならない、

だから悩むのだと思います。

そうであれば、部下と関わる上でもっと大切なことは、

その人と真正面から向き合うとことではないかと思います。

そう、

ごくせんのように。

辛い体験の中に残っていた光

話は変わりますが、

私が小学校2年生のとき、

万引きを繰り返したのが親にばれ、

夜な夜な父に車で川に連れていかれ、

「お前なんていらない!!!!!」

と車から降ろされました。

真っ暗闇の中、

私を置いて車で去ろうとする父を追いかけ、

泣きながら謝ったことを覚えています。

その時、

私は父に思いっきり殴られ、

母は大粒の涙を流していました。

今でも鮮明にその時の情景を覚えているということは、

それぐらい自分にとって大切な出来事だったのかもしれません。

大人になって、

また自分も親の立場になって残っているのは、

怒られたということよりも、

父母が私に正面からぶつかってきた、

という事実です。

きっと子どもながらに

親の本気さが伝わったのだと思います。

私の思春期は、かなり歪んでいたので、

親は私の教育にかなり悩んだと思います。

ガラスのように割れやすく、尖っていて、

自分も他人も傷つけまくっていた私は、

誰にも心を開いていませんでした。

大人は自分の言い分ばかり押し付けてくる、

誰も自分のことを分かってくれない、

分かろうともしない、

そんな反感が常にあり、

大人はみんな敵だ、と思っていました。

中学のとき、

美術の授業で鏡を片手に自画像を書くのですが、

なぜか私は鏡を割り、その割れた鏡に映る自分を書いていました。

背景は真っ黒、

目は真っ赤、

かなりやばり精神状態ですね 笑

子供がこんな絵を書いてきたら

さすがに心配します。

そんな私に、どう関わってよいか分からなかった、ずっと悩んできた、そう親から聞いたのは、大人になってからの話です。

当時の自分にとっては、痛く辛い体験でしかありませんでしたが、

今となって思い返せば、

自分が他者とどう関わるか、

その原点を、その姿をもって教えてもらった大切な体験として、

自分の中で、生き続けているのかもしれません。

今このような仕事をしていることが、

何よりその証です。

部下への矢印を自分自身に向ける

私が上司の立場として様々な部下と関わったとき、

結局のところ試されたのは、

自分が部下を真正面から受け止めることができるのか、

という自分自身のあり様です。

部下と向き合え向き合うほど、自分も傷つきます。

なんで解ってくれないのか、

なぜ同じ失敗を繰り返すのか、

自分は上司として失格なのでは、

自分の至らなさを責め、

自分の不甲斐なさに絶望します。

でも、そうやって、

傷つき、

悩み、

葛藤し、

これまで部下に向けていた矢印を自分に向けることで、

部下を変えるのではなく自分が変わらないといけない、

ということに気づかされます。

本当にそうなのです。

最初、

上司は部下を変えようとするんです。

私もそうでした。

傲慢な話です。

自分の方がわかっている、

お前は間違っている、

そんな傲慢さが部下には透けて見えるわけです。

だから心を閉ざします。

この人に言われたくない。

部下が上司に潜在的に求めていることが2つあります。

1つ目は、この上司の元で自分はどれだけ成長できるのか、

2つ目は、この上司は自分のことをどれだけ解っているのか、

特に後者は、その姿が上司から感じられない場合、

上司の声が部下に届くことはありません。

心が開いていない状態で

どんな正論を振りかざしても無意味です。

これは、

部下の立場で考えてみればすぐに分かると思います。

自分の状況や気持ちも理解しようとせず、

一方的に正論を押しつけてくる上司の言葉は

きっと右から左だと思います。

だから

変わらない部下を責めるのではなく、

自分の部下との向き合い方を変えなければ

その先には進めない。

結局は、

自分が部下を育てているようで、

実のところは、

自分が部下に育てられているのだと思います。

ハートとハートでぶつかる

私はどんな部下であっても、

何かの場面で、

必ず相手の懐に一歩踏み込まなければならない瞬間やタイミングがあると思います。

部下が伸び悩んでいるとき、

部下が大きな失敗をしたとき、

自分との関係が上手くいかないとき、

組織に否定的なとき、

仕事のミスが続いているとき、

部下が落ち込んでいるとき、

部下が周囲と上手くいかないとき、

部下がルールを犯したとき、

人によって事象は様々ですが、

自分自身が踏み込みにくいなと感じるとき、そのタイミングこそ、踏み込まなければならないタイミングなのだと思います。

そこに、部下が望む、望まないは、関係ありません。

相手の懐に一歩踏み込もうとするとき、

一つだけ大切なことがあります。

それは、

無防備で飛び込むことです。

何かを解らせようとか、

相手を説得しようとか、

そんな思いを腹に持って相手の領域に踏み入ったら、心を閉ざされるか、返り討ちにあうかのどちらかです。

自己保身を捨て、

ただ純粋の部下への願いをもって、

部下が自分のことを思う以上に部下の可能性を信頼し、

一歩踏み込む。

言いにくいことも伝える、

言葉を濁さない、

ストレートに伝える。

そして相手の気持ちも聴く、

声なき声に耳を傾ける。

傷つくことを恐れず、

傷つけることを恐れず。

ハートとハートでぶつかる。

自分の防御は完璧にし、そこに相手を責める武器を持って近づいたら、必ず相手は警戒します。

責めてくる相手には責め返す、

当たり前の話です。

相手に武装解除してもらいたかったら、

まずもって自分が武装解除することです。

心を開く、ということです。

それは本来とても怖いことかもしれません。

でも、相手はもっと怖いんです。

だから武装するんです。

既に相手は傷ついてる、

だから、

自分も傷を受けることを覚悟し、

勇気を持って、

正面から正直に心を開いて向き合う。

上司のプライドなんて捨て、

一人の人間として、

正々堂々、

一対一で向き合う。

もう、最後の術は、それしかないと思います。

複数の部下の上に立てばたつほど、

必ずと言っていいほど部下との関係で悩みます。

自分の器をはみ出る部下の存在は、自らの器を広げてくれる存在でありながら、そのような部下を切り離したくなる衝動に駆られるのも事実です。

部下を受け入れるのか、それとも切り捨てるのか、上司は人と真正面から向き合うことを突き付けられるポジションです。

その瞬間だけを切り取れば苦しい体験かもしれません。

でも、その真正面から向き合った日々は、

自分にとっても、

相手にとっても、

かけがえのない時間となるのではないでしょうか。

最後まで読んでいただき、有難うござました。

「縁を生かす」致知より

私が好きな記事をご紹介します。先生と生徒のやりとりですが、上司部下関係においても同じであると思います。


その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。

中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。

「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。

間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。

二年生になると、

「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。

三年生では

「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」

三年生の後半の記録には

「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」

とあり、四年生になると

「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」

先生の胸に激しい痛みが走った。

ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。

先生にとって目を開かれた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。

「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分からないところは教えてあげるから」

少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。

授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。

少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。

あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。

先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。

雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。

「ああ、お母さんの匂い!きょうはすてきなクリスマスだ」

六年生では先生は少年の担任ではなくなった。

卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」

それから六年。またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」

十年を経て、またカードがきた。

そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。

大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生の時に担当してくださった先生です。」

そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。

「母の席に座ってください」

と一行、書き添えられていた。

月刊誌『致知』連載にご登場の鈴木秀子先生に教わった話である。

たった一年間の担当の先生との縁。

その縁に少年は無限の光を見出し、それを拠り所として、それからの人生を生きた。

ここにこの少年の素晴らしさがある。

人は誰でも無数の縁の中に生きている。

無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。

月間『致知』二〇〇五年十二月号総リードより

著者プロフィール 渥美崇史

  • 1980年静岡県浜松市生まれ。株式会社ピュアテラックス 代表取締役。
  • 2003年、大学卒業後、ヘルスケアに特化した経営コンサルティンググループに入社し、評価制度や報酬制度の設計などの人事コンサルティングに従事する。その後、戦略や仕組みだけでは経営が改善されない現実を目の当たりにし、それらを動かすマネジメント層の教育に軸足を移す。2009年、マネジメントスクールの新規事業を立ち上げ、事業責任者を務める。約30,000人以上のマネジャーの成長を支援する事業に育てる。
  • その後、自社の運営にもマネジャーとして携わる中、トップの世代交代による経営危機に直面する。業績低迷、社員の大量離職が続く中、学習する組織、U理論といった組織論・変容理論に出会い、自身の人生観が180度変わるほどのインパクトを受ける。その知見を社内に持ち帰り、約2年間をかけて新しい組織文化への変革に取り組み、 当時の過去最高利益を達成する。その実体験と理論をベースにクライアントの組織変革を始める。
  • 2016年、13年間勤めた会社を退職し、独立する。社名の由来である”命の輝きを照らす”をミッションに、人間主体の組織マネジメントへの変革と自己のオリジナリティを生かしたリーダーシップ開発に力を入れている。
  • 好きな書籍は「自分の中に毒を持て」「星の王子さま」。自由・冒険・探求がキーワード。犬並みに嗅覚が鋭い。この世で一番嫌いなものはオバケ(極度の怖がりのため)。射手座AB型二人兄弟の次男。
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