お金を払ってでもやりたい仕事

震える身体、震える心
浜松の夜。
今からおよそ一ヶ月前、某医療法人で1年間取り組んでいた課長塾が最終回を迎え、最後に修了式及び懇親会があった。
最後に幹部含め参加者全員が1年間を振り返っての今の思いについて話をする場面があった。
事前に、渥美さんは最後にお願いしますと言われていたので、ゆっくりと一人ひとりの話を聴いたのだが、もうこの辺から涙がポロポロと溢れ始めていた。
そして、最後の方で本部長の話、理事長の話を聴いているときは、もう声を上げて泣いていた。たぶん感動して泣くことはあっても声を出して顔をくしゃくしゃにして泣いたのはきっと子供の時以来だと思う。
そして、最後に自分の出番になったとき、たぶんこんなこと話そうかとなんとなく考えていたことが全部吹き飛んだ。
全身が震えて、涙が止まらなくたった。そして、その後湧いてきた感情は以外にも感謝の気持ちだった。というかどれだけ探しても感謝しかなかった。自分の身体が感謝に溢れている、こんな体験は生まれて初めてだった。
一緒に取り込んできたこと、こんなにも感動する場にいさせてもらえたこと、こんなにも素晴らしい人たちと出会えたこと、自分はとても幸せだと思った。なんて自分は幸せな仕事をしているのかと思った。それはおそらく、感動の体験ができたことへの感謝だった。
感謝とか言うとなんかいい人っぽいように聞こえるかもしれないが、私は決していい人でもなんでもない。ちょっとした日常のありがとう、別れる時に芽生えるありがとうの気持ちはあっても、ここまで純粋に感謝の気持ちに溢れることはほとんどなかった。
なぜ、ここまで心が震えたのか、きっと自分ができるベストを尽くしたからなのだと思った。自分が持てる全てを出し切ったからこそ、全てが自分事のように思え、ここまで感動できたのだと思う。
そして、そこまで全力を出せたのは、自分以上にトップ、幹部の方たちのなんとか組織をよくしたいという強い思い、そして何より課長の方たちの一生懸命さに全力で応えたいと思ったのだと思う。
青春とは正直さだ
30歳ぐらいの頃、何のために仕事をしているのかわからなくなった時期があった。おそらく、会社の犬になりかけており、自己の目的を見失っていた。
そんなタイミングのとき、たまたまテレビで見た甲子園に心を奪われ、球場に足を運んだ。
心が震えた。上手さで言えば断然プロ野球の方が上手い。でも、プロ野球にはない何かがそこにあった。
高校球児のひたむきさ、がむしゃらさ、最後まで諦めない姿に心が震えた。そこで起こる大逆転のドラマに歓喜し、涙を流した。
そして何より彼らが羨ましいと思った。
彼らのように全力で走りたい、持っているエネルギーを全部注ぎたい、仲間と感動を分かち合いたい、自分の中にある青春を取り戻したいと思った。見えない何かに追われて生きるのではなく、自分も高校球児のように夢中の日々を生きたいと思った。
そこからは、自分の青春を取り戻す日々だった。青春とは正直さだ。自分に正直なこと、自分にウソをついた生き方をしないこと、口で言うほど簡単ではなかった。
正直に生きるとは、無防備で生きるようなものだ。だから、傷つきやすさは倍増した。でもそれと同じくらい喜びと感動も倍増した。青春は自分の中にも生きていた。
今となって思うのは、高校野球にドラマを期待するのは、本当のところは、自分に期待していたからだ。自分自身の人生の大逆転ドラマに期待し、高校球児を応援すると同時に自分自身を鼓舞し、応援していたのだ。自分を諦めたくなった。命が終わるとき、自分はこの人生を精一杯生きたと言える自分でありたいと思った。青春とは生きる実感そのものだった。
お金を払ってでもやりたい仕事
昔、誰かが言っていた。仕事には3種類あると。1つ目は、お金をもらってもやりたくない仕事。2つ目は、お金をもらえるならやる仕事。3つ目は、お金を払ってでもやりたい仕事だと。
その言葉を思い出して、おそらく今回の仕事は3つ目のお金を払ってでもやりたい仕事だったのだと思った。
それは自分にとって勉強になるからとか、経験になるからとか、そんな理由ではなく、青春の時間を過ごすことができたからだ。
ディズニーランドに行くにしても何にしても、人は楽しい時間、感動する体験にお金を払いたいと思う。だから、この仕事もおそらくそんな気持ちだったのだと思う。そして、仕事をするということは、与えているようで本当のところは自分がその何倍も与えてもらっているのだと思った。自分という人間が、あなたの存在によって生かされたこと、あなたの存在によって輝けたことへの喜びが確かにそこにあった。
半年ぐらい前、打ち上げの後、理事長と一緒に夜の繁華街を歩いているときに言ってくれた言葉を今でも覚えている。「渥美さんと会った時、なんかこう言ったら失礼かもしれないけど、宝物を見つけたように思った」とても嬉しかった。そう思うことをそんなにも素敵な表現で口に出して伝えてくれてことがとても嬉しかった。だから、その後、私は理事長を思いっきりハグした。
そして思った。こんな若造に気軽にハグをさせてくれるあなたの器はとんでもなく大きい、だから自分はこの法人が好きなんだと。
1年間の課長塾が終わり、次はその課長塾のメンバーが事務局チームとなり、係長塾がスタートする。この法人が良くならないはずがない、良くなるしかもう選択肢はない、そう確信した1日だった
ちなみ私は12月1日生まれの射手座。ギリシャ神話で言えば射手座のモデルはケンタウロス。ケンタウロスは上半身が人間で下半身が馬の半人半獣、つまり人間としての理性と動物的な本能の両面を持つと言われている。
だから、どれだけ涙ボロボロになっても、どれだけ酔っ払っても、常に冷静なもう一人の自分がいる。こんなにも感動した日の自分の気持ちを冷静に文書で書けるのはケンタウロスのせいだと、何となく自分を納得させた。
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