なぜ多くのマネジャーは「任せられない」のか?

By

「助けてほしい」と言えますか?

あなたは自分が困っているとき、苦しいとき、行き詰っているとき、

「辛い」

「しんどい」

「助けてほしい」

「相談に乗ってほしい」

と他者にSOSを出すことはできるでしょうか。

本当に苦しいときほど、ヘルプを出すことが難しい方は多いのではないでしょうか。

なぜ、このような質問をさせて頂いたかと言うと、「助けてほしい」と言えるかどうかは、マネジャーとしての根本的な資質に大きく関わってくるからです。

例えば、自分が部下の立場で想像してみてください。

上司から「助けてほしい」と言われたらどうですか?

素直に助けたいと思いませんか?

自分にできることはないかと思いませんか?

もちろん相手にもよりますが、

人間は本当に困っている人を放っておけない生き物です。

それに、頼られると必要とされてると感じます。

しかし、実際には上司の立場となったとき他者に「任せる」「頼る」ということが、プレイヤーからマネジャーへと成長していく上で、大きな壁となっているように思います。

マネジメントとは「他者を通じて物事を成し遂げる」ことを意味しますが、現実問題として、多くのマネジャーがぶつかっている壁の一つに、「任せられない」という問題があります。

「任せる」とは、頼る、相談する、協力を仰ぐ、助けを請う、甘える等々、様々な表現ができます。

つまり「任せられない」とは、相談できない、頼れない、協力を求められない、助けを求められない、甘えられない、ことを指します。

そして、それは個の能力が高い方ほどそのような傾向があるように思います。

しかし、マネジャーの責任とは、本来個の能力でどうにかなる範囲を超えています。

それでも、個の能力が高い方は、自分の力でその責任を果たそうと頑張ります。そして、人によっては何とかなってしまう方もいます。

しかし、そこに副作用が4つあります。

1つ目は、部下の依存心が高まります。つまり、最終的には上司がやってくれるだろう、問題が発生しても、上司が動いてくれるだろう、それは私の問題ではない、と当事者意識が下がっていきます。つまり、組織の問題を他人事化し始めます。

「強すぎるリーダーシップは部下の依存心を生む」と言われますが、まさに、能力が高い上司に部下が依存してしまい、本来メンバーが持っている力が発揮されにくい状態に陥ります。

そして、部下が思うように成長しない、伸びないことに苛立ちながらも、その要因の一端を自分が担っていることには、多くの場合、無自覚です。

そして、最終的には、常に自分が先頭に立って指示を出し、目を光らせていないと安心できないチームが出来上がってしまいます。

つまり、任せられないと、チームが本来持っている能力を発揮させられず、低空飛行のパフォーマンスを生み出し続けることになります。こういった職場は、マネジャー個人の力量への依存度が高いため、そのマネジャーが抜けた瞬間にチームの空中分解が起こりやすくなります。

2つ目は、身心共に余裕がなくなります。

自分の力を最大限に駆使して、部署やチームの責任を果たすことは可能だと思います。しかし、気がつけば、休みとれない、いつも遅くまで残っている、プライベートの時間もない、心と身体が休まる時間がどんどんなくなっていきます。

つまり、身心共にヘロヘロ状態になり、最終的には身体か心が悲鳴を上げて、強制的にリングから降ろされる、といった事態を招きかねません。

3年ぐらい何とか走れても、段々と疲労が蓄積し、走るスピードもどんどん遅くなります。ミスやモレも多くなります。それにも関わらず、責任感の強い方ほど、止まる、休むという選択肢はないため、ないエネルギーを振り絞って、カラカラになるまで走り続けます。

そして、次第に「自分は何のために仕事をしているのか?」と、目的意識が見失われ、次第に仕事に面白さや喜びが感じられなくなっていきます。いわゆる燃え尽きしてしまう、ことになります。

3つ目は、成果が予想の範囲を超えません。

他者に任せることなく自分が頑張る、という状態は、まだ心のどこかで「自分が頑張れば、責任が果たせる」と思っている自分が存在します。

逆の見方をすれば、責任範囲を超えた成果が生まれることはい、ことを意味します。

つまり、自分が走って生まれる成果には限界があり、その成果とは常に自分の予測の範囲内であるということです。

もちろん責任を果たすという意味ではご自身にとって大切なことかもしれません。しかし、「責任」とは「最低」のことであり、その「最低」を超えて自己の目的を果たしていくことのそのものにマネジャー本来の喜びや楽しさがあるのではないかと思います。

4つ目は、仕事が作業化していきます。これはどういうことかと言うと、マネジメントの仕事とは本来、緊急性が低く重要性が高い領域にあります。つまり、未来を創造することがマネジメントの仕事となるわけですが、マネジャーが自分のやった方が早いという理由で現場の仕事を奪うと、本来自分のポジョンとしてすべきマネジメント仕事に手が回らなくなります。

では、そうなると誰が代わりに自分の仕事を担うかと言うと、そのマネジャーの上のポジションの上司が一段降りてこざるを得ないわけです。そうなると、一段づつ目線が下がることになます。本来、現場は短期視点、マネジャーは中期視点、トップは長期視点です。それが、現場仕事に追われることでどうしてもその視点は短期となるため、「何のためにやるのか」「なぜそれをやるのか」「なぜあなたがするのか」といった現場の仕事に意味を吹き込む人間がいくなります。意味を感じられない仕事は徐々に作業化していき、そのパフォーマンスは著しく低下していきます。

なぜ「任せられない」のか?

では、なぜ多くのマネジャーは「任せられない」のでしょうか。

それは一言で言えば、

「不安」だからではないでしょうか。

マネジャーには「任せる」ことで起こる不安が大きく4つあります。

一つ目は、「任せたら失敗する不安」です。

これは分かりやすいかもしれません。

自分よりも経験も能力もない部下に任せたら、当然失敗するリスクが大きくなります。失敗までいかなくとも、スピードが遅い、質が下がる。

これでは、部署・チームの責任を果たすことはできない。だから、自分が口を出す、手を出す。当然そちらの方が短期的には結果が出ます。

そして、そこには、もし責任が果たせなかったら、自分の評価が下がる、という不安が見え隠れします。ある意味、その不安から逃れるために、本能的に自分が先頭に立ってしまうのかもしれません。

二つ目は、「任せて上手くいってしまう不安」です

つまりは、上手くいってしまったら、部下が自分を脅かす存在になる、自分の存在価値がなくなってしまう、だから自分の居場所を確保するために大切なところは任せない、という理由です。

本来であれば、自分を超えていく部下を育てることが上司の役目なのかもしれません。自分を超えてほしい、そう口では言いながらも、本能的には、子が親である自分を超えていくことを許さないという心理が働きます。

自分を超えていくとは、コントロールできる存在から、コントロールできない存在になっていくことを意味しています。

部下が自分の言うことを聞いてくれる、部下が自分を慕ってくれる、部下が自分を頼ってくれる。自分が常に上に立っていることには、自分自身のプライドの保ち、何より自分の傍に人がいれくれる、という安心感を生むになります。

三つ目は、「任せて嫌がられる」不安です。

実際、任せると嫌な顔されることは多いです。特に嫌われたくないという思いが強いと、相手の顔色を伺います。そして、「きっとこれを頼んだら嫌な顔をされるだろうな」という思いが頭をよぎると、「嫌な顔されるぐらいなら、自分がやっとけばいいか」と自己完結し、背負いこみます。

この行動がパターン化してくと習慣になり、もはや本人には背負いこんでいる、という自覚はなくなります。それでも周りから見たら「それは本当にあなたがやるべき仕事なのか」「それぐらい部下にやってもらったらいいに」という声が必ず挙がります。でも、本人からしたら自分でやる方がよっぽど気が楽なんですね。自分が忙しくなることより、人から嫌な顔をされたくない、という方がどうしても優位に立ってしまいます。

つまりこれも、自分を守るために任さない、自分が安心するために任さない、という選択になってしまいます。

四つ目は、「任せて思い通りいかなくなる」不安です。

「任せる」とは、原則口出しは一切しない、ということです。しかし、どうしても任せる側からすると、自分が想定する方向で進めたいという動機があります。もっと率直にいえば、好き勝手されたら困る、自分の思う範囲の中でのみ自由にやっていいよ、というのが本音なわけです。でも、「俺の言う通り動け」なんて正直に言ったら部下はついてこない、それは想像できる。だから、微妙なさじ加減をして、自分が本当に手出し口出しされたくない領域は「任せない」という選択になります。

いずれもしても、管理者・リーダーには、「結果」と「人」をコントロールしておきたい、というエゴがあります。そして、「結果」や「人」をコントロールとしておきたい、という欲求の裏側には、自分は他者からどう見られているのか、自分は他者から必要とされているのか、という不安が常にあり、その不安を避けるために、「任せない」「頼らない」という選択をします。

どれだけ頭で「任せる」ことが必要だとわかっていても、最終的にぶつかるのは、こういった自分の中にある心理的壁です。まず、そこに気づけるかどうかが最初の難関です。気づいていない場合はほぼ無自覚で抱え込んでしまうことになります。

あらためて言えば、マネジャーには、気持ちが楽になることを選ぶのではなく、自分の身体が楽になることを選ぶ、という選択が絶対的に必要になってきます。

いつも忙しいマネジャーの職場ほど危ない職場はありません。時間的なゆとりがあるかこそ、全体をゆっくり眺めて見渡し、冷静な判断できる、部下からの報告や相談も余裕をもって聞ける、そこから微細な変化に気付き、次の打ち手が生まれる。心理的にもそうですが、物理的な余裕をマネジャー自身がつくるということが、職場を安定させます。部下の立場からすればいつも忙しいそうな上司に相談なんてできない、最低限の報告のみです。これでは本当に必要な情報も集まらないし、適切な判断もできません。「他者を通じて物事を成し遂げる」ことがマネジャーの役割であるならば、自分の時間はもはや自分のために好き勝手使う時間ではなく、スタッフに明け渡して使ってもらう、という発想が必要です。

昔、全国トップ成績のマクドルドの店長が、マネジャーの仕事は、子供の運動会をビデオ撮影することと同じ、と言っていましたが、これは、笑顔でスタッフの働きぶりを見て回り、声をかけ現場の声を聞く、一人ひとりのよい点を褒め、成長課題をフィードバックすることであり、間違っても自分が高速スピードでレジ打ちすることではない、という意味だと思います。

世界を信頼し、他者を信頼し、自分を信頼してみる

「任せる」「頼る」「相談する」「助けを求める」

言葉で言えば簡単ですが、実際にはとても難しいことすよね。

任せたいけど任せられない、頼りたいけど頼れない、助けてほしいけど、助けられたくない、人それぞれ様々な葛藤があると思います。

任せるとは、結局のところ「私は世界をどれだけ信頼しているのか」という問いへの答えです。

世界とは他者です。

他者をどれだけ信頼しているのか。

世界とは自分です。

自分をどれだけ信頼しているのか

だから、

「任せる」ことは「私はあなたを信頼しています」というメッセージとして伝わります。

「任せない」ことは、「私はあなたは信頼していません」というメッセージとして伝わります。

更には、

「任せる」ことは「私は私のことを信頼しています」という自己への信頼を強めます。

「任せない」ことは「私は私のことを信頼していません」という自己への信頼を弱めます。

だから、

思い切って任せてみると、頼ってみると、世界への信頼が高まります。自分が思っている以上に案外世界は優しいなと気づくはずです。その体験の積み重ねが、自分への信頼へと繋がります。

逆の立場から見れば、

「任せられる」ことはとても嬉しいことです。

自分は信頼されているって思います。

「頼られる」ことはとても嬉しいことです。

自分は必要されてるって思います。

人は誰しも貢献したいというニーズを持っています。どんな人でも例外なく。その貢献意欲を引き出せるかはマネジャーが「任せられるかどうか」「頼れるかどうか」「相談できるかどうか」にかかっています。

マネジャーは他者の貢献意欲を引き出せるんです。貢献意欲とは「誰かの役に立ちたい」という純粋な思いです。こんな素晴らしい仕事はないですよね、と思います。

もちろん「任せ方」は重要です。「任せる」ことと「振る」ことは全然意味合いが違います。

自分に時間がないから「振る」んじゃないんです。

自分ができないから「振る」んでもないです。

「私は忙しいから、私の手となり足となって」

それは、人を道具として見ています。

そうではなく、

その人の「役に立ちたい」という願いを叶えるために舞台をつくるんです。

マネジャーの仕事は舞台づくりです。

部下がスポットライトを浴びる舞台をつくる。

自分がいつまでも舞台の中央に立ってたら部下は輝けません。

昔から「熱い餅はちぎって投げる」と言われますが、

一番面白い仕事を部下に渡す、そして自分はまた面白そうで難しい仕事にチャレンジする。

組織はその循環によって成長していきます。

部下が伸びる、部下が輝く、部下の才能が花開く、そんな役割、ミッション、仕事を託し、たくさんのスターを創っていくことがマネジャーの面白さでもあります。

自分自身の仕事ぶりが評価されることではなく、最近「⚪︎⚪︎さん伸びたよね」最近「⚪︎⚪︎さん輝いているよね」と噂されることが、マネジャーの最大の功績です。

「任せる」とは「やる意味を吹き込む」こと

そうは言っても「任せられる」ことを嫌がる部下もいると思います。

でもそれは、自分がやる意味・意義を感じていないからです。

意味を持たせられるかが、部下からすると「任せられている」か「振られた」かの境目です。

人のやる気というのは「意味」次第で増減します。

そして人のモチベーションというのは組織において重要な経営資源です。

やる意味を感じない仕事はただの作業、つまらない仕事です。

組織の命令だからやります、という機械的な反応。

でも人は機械ではないので、人は意味のない仕事を続けると心が病みます。物資的飢餓ではなく精神的飢餓、これは現代病です。

ドフトエフスキーは、「死の家の記憶」で、

「バケツの水を他のバケツに移し、終わったらもた元のバケツに戻す」といった「まったく意味を感じることのできない仕事」こそが「最も過酷な強制労働」であり、これを何日もやらされた人間は発狂してしまう、と書いています。

モノへのハングリーを満たした現代人は、意味にハングリーと言われています。つまり、モノが過剰に溢れ、基本的な生活ニーズが満たさている現代社会は意味が不足しているということです。

昔は、食べるモノがなくて人は死にましたが、今は意味を感じられなくて人が死ぬ時代です。日本は先進国の中でも自殺者トップクラス、特に若者の自殺者が顕著です。

現代人に必要なのは、金銭的報酬ではなく精神的報酬、つまり仕事をしたことの対価によって得られる報酬ではなく、仕事そのものから得られる報酬が、人が潜在的に求める報酬ではないかと思います。口では当然言いますよ、給与が安い、上げてくれって。でもその問題のほどんどは格差やルールの不明確さの問題、純粋な絶対額の問題ではないことの方が圧倒的に多いです。

誰もが心のどこかでは違和感があると思います。物資的豊かさによって人はもう幸せにはなれないことに。これだけ便利な世の中で、更なる便利さを求めることに何の意味があるのか、この終わりのないラットレースを走り続ける先には何もない、という現実に。

業績目標で人を動かすなんていう時代はもうとっくに終わっています。本当に人間が人間たらしめるのは、人間の純粋な動機に根ざした活動以外ないと思います。

ミレニアル世代(1980年から2000年までに生まれた世代)へのある調査によると、就職先を選ぶ基準は、給与でも製品・サービスでもなく、「その企業が事業を行っている目的」を重視すると答えた回答者が6割を超えているそうです。

また、ある85万人の調査から分かったことは、ミレニアル世代のモチベーション要因の上位3つは、1位が社会・人々・世界への貢献、2位が学習・成長、3位が家族・大切な人、のようです。ちなみにワーストは、お金・地位・ステータス・自律、時代はもう大きく変わっていることがわかりますよね。

つまり、20歳〜40歳のスタッフは、社会をより良い方向に変化させたい、という動機がより強い、ということです。

でも、これは世代の動機ではなく、時代の動機です。世代関わらず今の時代を生きている人々が持っている共通のニーズだと思います。ただ、年代が若くなればなるほど物資的貧困を既にクリアした時代に生まれ、生きてきているため、そのニーズが単に顕在化しやすいだけ、極端にいえば、上の世代になればなるほど生活ニーズを満たすことが目的となる時代を長く生きているため、多少意味がなくても組織の命令なら我慢してやることに慣れているだけだと思います。でも、それももう限界ですよね。思いと行動が一致しなかったら人は病みます。ある意味心が病むのは人間として正常に機能している証拠です。人間には身体的知性が備わっていますから。意味のない仕事をやり続けられるのは人間ではなく機械です。

「星の王子さま」著書のフランスの作家サン・テグジュペリは、

もし船を造りたいのなら、男たちをかき集め、木材を集めさせ、のこぎりで切って釘を留めさせるのではなく、まず「大海原へ漕ぎ出す」という情熱を植えつけなければならない、と言いました。

今に時代における「任せる」とは単に業務を「割り振る」ことではなく、仕事に「意味を吹き込む」こと、「やるに値する仕事だと思わせること」これが真の「任せる」ということだと思います。ここが現代のマネジャーには強く求められている。

こういうと意味のない仕事を増やしているのは上司の責任として捉えられがちですが、必ずしもそうではありません。つまらない仕事、意味のない仕事を引き受ける側の責任も大きいわけです。

上司だからといって必ずしもいつも素晴らしい仕事を任せてくれるなんてことはありません。本当にやる意味がある仕事のみを渡してくれる上司なんておそらくこの世に存在しないと思います。中には、これやる意味あるのか、と疑いたくなるような仕事が降ってくることもあります。それを当たり前のように引き受けてはいけない、ということです。組織の指示、上司の命令だからと何もかも盲目的に聞いていたら、意味のない仕事が量産され、組織も自分も簡単に殺されてしまします。

任せる側に仕事に「意味を吹き込む」責任があるのなら、任される側には、任されたその仕事の「意味を問いな直す」責任があります。そして、必要がないと思うのであればたとえ上司であろうと断る、代替案を提示する、中間管理職であるマネジャーにとっては、そうやって意味のない仕事を組織に残さない、防波堤としての役割があります。

そうすることで、まず自分自身の仕事を意味のあるものに、意味を感じられる面積を増やしていく、仕事そのものから精神的報酬を得ていく、まずはそこからだと思います。

「頼らざるをえない」理想を描く

マネジメントとは、前述したとおり、「他者を通じて物事を成し遂げる」ことを意味しています。

つまり、マネジャーとは、自分ではなく、他者の力を使って、成果を生み出す存在である、ということです。

違う言い方をすれば、自分がいなくなっても、決して動じない筋肉質のチームを創り上げることが、マネジャーが最低限目指したいゴールでもあります。

「上司不在時の時こそ、職場の実力が表れる」と言われますが、上司の指示命令がなくても、スタッフ自身が何をすべきかを理解しており、また自分たちで対応する実力を持っている、そういった状態に仕上げていくためには、少しずつ自分の仕事を部下に委ね、上司の依存度を減らしていく必要があります。

箱根駅伝4連覇の立役者である青山学院大学の原監督は、あるインタビューでこのように応えています。

「私の理想は、監督が指示を出さなくても部員それぞれがやるべきことを考えて、実行できるチームです。つまり、指示待ち集団ではなく、考える集団。言葉にするのは簡単ですが、考える集団をつくるには、土壌と同様に時間が必要です。

「私が最初に取り組んだのは『相談できる人』に育てること。部員からの提案を嫌がる監督もいますが、それだと、監督の指示を仰ぐ部員やスタッフばかりになってしまいます。

考える習慣がない部員に『さあ、考えなさい』と言っても無理。だから、監督に就任した頃は、私が話すことが多かったと思います。ただ、考えるための材料は与えても、できるだけ答えは出しませんでした。そうすると、なんとか自分で答えを導き出すしかありませんから。

私は、彼らが答えを出すまでとことん待ちました。チームが考える集団になれるかどうかは監督の忍耐強さにかかっています。

成熟したチームになると、監督が全面に出る必要はなくなります。成熟するまでは教える立場ですが、成熟したチームになると、変化を感じとるのが主な仕事になります。

チームから離れて見ていないと監督の仕事はできません。エンジン全開でこちらの部員、あちらの部員と精力的に指示を出している監督もいますが、それはチームがまだ成熟していない証拠です。あるいは、こと細かに指示を出さないと気が済まない監督だと思います。

『管理者の仕事は管理じゃない』。チームが強くなるほど、監督の『見る』仕事は増える。それが成長したチームの理想形です。その状態を維持できるチームこそが常勝軍団だと私は考えています。」

実際に、原監督が今の状態までチームを創り上げるのに8年かかったそうです。最初は、先頭に立って引っ張っていく牽引型のリーダーシップを発揮していましたが、選出の自主性を少しずつ育み、徐々に完全に見守り型のリーダーシップに変化していったようです。

そして、そんな長い道のりを歩めたのも、原監督自身が、自分は何を成し遂げたいか、「箱根駅伝で勝つ」という明確な「ゴール設定」があったからだと思います。

そのような意味でも、マネジャーは「自己の目的を明確にすること」が重要です。

繰り返しになりますが、マネジメントとは「他者を通じて物事を成し遂げる」ことです。

つまり、これからのマネジャーには「組織から与えられた責任を果たす」という枠を超え「自分は何を成し遂げたいのか」というミッションが、絶対的に必要です。

成し遂げたい何かがあるから、「任せる」という行為が必然的に生まれます。

反対に、自分は在任中に何を成すのか、というミッションが曖昧であればあるほど、その場をこなすことが目的となり、部下に任せる必要もなくなります。力のある自分がいつも先頭に立つことが、最も生産性が高くなります。

だからこそ、「任せられる」マネジャーになるためには、「目的」「ミッション」が必要です。ミッションというと大げさに聞こえるかもしれませんが、職場の風通しを良くしたい、働くスタッフをもっと笑顔にしたい、何でもいいです。

ただ、自分一人では到底成し得ない大風呂敷を広げたものがいいと思います。

ちなみに私は、「心の貧困をなくし、魂が躍動する世界にする」という個人的なミッションがあります。そんなのできるのかと思うような壮大なテーマですが、それが今自分が解決したい課題です。

そうやって、自分一人の力ではどうにもならない、でも、皆の力を結集したら可能かもしれない、そういった自己の目的が明確になればなるほど、結果として人に相談し、人に頼らざるを得なくなります。

逆を言えば、自分一人でなんとかなってしまう状態というのは、目標が小さすぎる、ということなのかもしれません。

自分一人でどうにかなるなんて思っちゃいないけど、これは追っかけるに値する目標だ、自分が残された人生の時間とエネルギーをつぎ込むのに十分値する解決すべき課題だ、そんなふうに衝動的に思える目標が、マネジャーにとっては、ちょうどいい目標なのかもしれません。

繰り返しになりますが、仕事で人が病む時代です。

仕事とは問題解決であり、問題解決とはあるべき姿と現状の差を埋める行為です。

そして、つまらない仕事というのは、そもそも設定されている問題がつまらないのです。つまり、あるべき姿がつまらない、そもそも解決したいと思えない、だから仕事がつまらなくなる。

もし子供が不治の病にかかったら、健康であってほしいと、あらゆる手を尽くして全力解決しようとすると思います。もし大切な人が行方不明になったら、会って抱きしめたいとあの手この手を使って探すことを諦めないと思います。これは人間として自然な動機です。それは自分にとって絶対に解決しなけばならない問題であるからです。

「福祉は衝動である」とある人が言いました。つまり、困難にある他者に手を差し伸べたい、そのような人と一緒に生きていきたいという「衝動」が人を福祉に走らせる根源的な理由であるということです。つまり、「この問題は見過ごすことができない」「これを放ってはおけない」「誰かが何とかしないといけない」といった衝動から生まれる問題こそが、仕事を仕事たらしめる問題ではないかと思います。

仕事は、労働の対価として金銭、基本的生活を営むための手段、という意味合いから、間違いなく行為そのものがから豊かさを獲得する福祉的なものへと移り変わってきています。

いつの時代も、私たちが問題に対して主体的態度で臨むのは、そうありたいと心から願っているときです。その問題は解決するに値する、解決しなければならない、そう思うから自ら動くのだと思います。それが本来の仕事だと思います。

本来、医療福祉は衝動的な活動でありながら、現代においては、働く人にとって必ずしもそうはなっていない、生活のサイクルと化している現状が多くあります。これは、新たに課題を設定し直さなければならない段階にきていることを示唆しているのではないかと思います。

山口周氏著書「ビジネスの未来」では、物質的貧困を社会からなくす、というビジネスの歴史的使命はほぼ達成され、成熟の明るい高原に向かっている中、真に問題なのは、「経済成長しない」ということではなく、その終焉を受容できず「経済以外の何を成長させれば良いのか分からない」という社会構想力の貧しさであり、更には「経済成長しない状態を豊かに生きることができない」という私たちの心の貧しさであると主張しています。

それらを踏まえても、今、私たちに本当に必要なのは、課題を解決する力以上に、課題を設定する力、つまり、自分はどんな社会を生きたいのか、どんなふうに生きたいのか、という自分なりの理想像を思い描く力であり、その実現のために、これは自分がやらなくちゃいけない、これは自分にしかできない、これは自分の役割だ、そう思えるミッションではないかと思います。

そして、そんな理想から生まれたミッションは、組織に命を宿し、マネジャー自身の仕事に意味を吹き込み、チームの仕事にも意味を与えることに繋がっていくのではないでしょうか。

最後まで読んでいただき、有難うございます。

著者プロフィール 渥美崇史

  • 1980年静岡県浜松市生まれ。株式会社ピュアテラックス 代表取締役。
  • 2003年、大学卒業後、ヘルスケアに特化した経営コンサルティンググループに入社し、評価制度や報酬制度の設計などの人事コンサルティングに従事する。その後、戦略や仕組みだけでは経営が改善されない現実を目の当たりにし、それらを動かすマネジメント層の教育に軸足を移す。2009年、マネジメントスクールの新規事業を立ち上げ、事業責任者を務める。約30,000人以上のマネジャーの成長を支援する事業に育てる。
  • その後、自社の運営にもマネジャーとして携わる中、トップの世代交代による経営危機に直面する。業績低迷、社員の大量離職が続く中、学習する組織、U理論といった組織論・変容理論に出会い、自身の人生観が180度変わるほどのインパクトを受ける。その知見を社内に持ち帰り、約2年間をかけて新しい組織文化への変革に取り組み、 当時の過去最高利益を達成する。その実体験と理論をベースにクライアントの組織変革を始める。
  • 2016年、13年間勤めた会社を退職し、独立する。社名の由来である”命の輝きを照らす”をミッションに、人間主体の組織マネジメントへの変革と自己のオリジナリティを生かしたリーダーシップ開発に力を入れている。
  • 好きな書籍は「自分の中に毒を持て」「星の王子さま」。自由・冒険・探求がキーワード。犬並みに嗅覚が鋭い。この世で一番嫌いなものはオバケ(極度の怖がりのため)。射手座AB型二人兄弟の次男。
お問い合わせはこちら

関連記事

最新記事一覧