人は、なぜ思うように変われないのか。 ~ 成長とは、「足し算」と「引き算」の繰り返し~

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人の成長は「やり方」と「あり方」

なぜ私たちは、多くの経験や学びを重ねても、思うように変われないのでしょうか。

人の成長には、大きく2つの要素があると言われています。

 

1つ目は、Doing(やり方・スキル・能力)

2つ目は、Being(あり方・ものの見方)です。

 

Doingとは、やり方やスキル、能力を高めることです。

 

例えば、資格を取得する、専門知識を身につける、

業務の処理スピードを上げる、

コミュニケーション技術を学ぶ、

マネジメント手法を習得する。

 

これらは「水平的成長」と呼ばれ、今ある自分という器の中に、新しい知識や技術を増やしていく成長です。

 

一方、Beingとは、あり方やものの見方そのものが変わることです。

 

例えば、白か黒かで物事を判断するのではなく、矛盾や曖昧さを抱えたまま考え続けられるようになること。

自分が信じて疑わなかった思い込みや「~すべき」という価値観に気づき、それを客観的に見つめられるようになること。

相手の立場や感情を、自分の価値観で良い悪いと裁くのではなく、そのまま受け止められるようになること。

 

視野が広がることで、以前なら受け入れられなかった意見を受け入れられるようになったり、複雑な問題の背景にある本質が見えるようになったりします。

 

これは「垂直的成長」と呼ばれ、その人自身の認識の枠組み、つまり器そのものが大きくなる成長です。

イメージとしては、スマートフォンのアプリを増やすのではなく、OSそのものがアップデートされる感覚です。

処理能力そのものが変わるため、同じ出来事を見ても、以前とはまったく違う景色が見えるようになります。

 

Doing(やり方・スキル・能力)による問題解決の限界

しかし、私たちは課題に直面すると、多くの場合、まずDoingを磨こうとします。

新しい知識を学び、新しい手法を取り入れ、能力を高めようとします。

 

それで解決できる課題も数多くあります。

 

しかし、どれだけやり方を変えても、どうにも解決しない問題があります。

そのとき私たちは、「まだ何か良いやり方があるはずだ」とさらにDoingを追い求めてしまいます。

 

けれど、本当に問われているのは、DoingではなくBeingなのかもしれません。

 

昔、ある講演会で印象に残った話があります。

 

それまで超トップダウンで会社を率いてきた中小企業の社長がいました。

社員が育たないことに悩み、ある日コーチングを学びます。

それまで感情のままに叱っていた社長は、感情を抑え、傾聴を心がけるようになりました。

叱ることを減らし、褒めるようになりました。

厳しく指摘していたことも飲み込み、やさしく伝えるようになりました。

「きっと、この方が社員は育つ。」

そう信じて、自分の接し方を変え続けました。

ところが結果は予想外でした。

社員から返ってきた言葉は、

「前の社長の方が良かったです。」

というものだったそうです。

 

なぜ、このようなことが起きたのでしょうか。

 

それは、やり方だけが変わり、あり方が変わっていなかったからです。

表面的には傾聴していても、その奥にある「社員を変えたい」という在り方までは変わっていなかったのかもしれません。

褒めても、認めても、その奥にある在り方が変わっていなければ、人はその違和感を敏感に感じ取ります。

 

Being(あり方・ものの見方)を磨く

私たちは、望む成果という山があり、その山に登るために足りないものを身につけようとします。

 

しかし、いくらDoingを積み重ねても山頂にたどり着けないのであれば、それは能力や手法の問題ではなく、山そのものの捉え方の問題なのかもしれません。

 

アインシュタインは、

「問題は、それを生み出したのと同じ次元では解決できない」

という言葉を残しています。

 

私たちは問題を解決しようと努力します。

しかし、本当に必要なのは、問題を見る「自分」の認識そのものが変わることなのではないでしょうか。

 

それは、ビルの1階から2階へ上がるようなものです。

1階からは見えなかった景色が、2階へ上がることで自然と見えてきます。

 

問題が消えたのではありません。

問題を見る視点が変わったのです。

 

だからこそ、私たちは問題を変えようとする前に、自分の見方を問い直す必要があるのかもしれません。

 

では、Beingはどのように育まれるのでしょうか。

 

そこで必要になるのが「内省」です。

 

内省とは、自分の内側にある固定観念や、「当たり前」と信じて疑わない価値観に気づくことです。

そして、それを少しずつ手放していくことです。

 

仏教では「執着を手放す」と表現されます。

私は、それは「コントロールを手放すこと」でもあると思っています。

 

私たちは、それぞれの経験や育った環境から、自分だけの思考のレンズをつくっています。

例えば、「人に迷惑をかけてはいけない」という信念を強く持っている人がいるとします。

その人にとっては、人に迷惑をかけることは悪であり、人に迷惑をかけないことが善になります。

 

すると、我が子が人に迷惑をかける姿を見ると、その行為を正そうとします。

もちろん、その矢印は自分自身にも向きます。

 

人に迷惑をかけないように自分を律し、もし迷惑をかけてしまえば、自分を責めます。

 

日本では「人に迷惑をかけないこと」は一つの美徳です。

一方、インドには、

「あなたは人に迷惑をかけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」

という教えがあるそうです。

 

つまり、生きている限り、人に迷惑をかけないことなど誰にもできない、という前提です。

 

ここで大切なのは、どちらが正しいかではありません。

自分が握りしめている「正しさ」が、自分や他者を裁き、目の前の問題を解決することを妨げていることがある、という真実です。

 

このことに気づいたとき、私たちは初めて1階から2階へ上がり、より広い景色で物事を見られるようになります。

そして、それまでどうしても見つからなかった解決の糸口が、自然と見えてくることがあります。

 

足し算と引き算の成長を繰り返し、人は成長していく。

私たちは、様々なものに執着します。

 

「こうでなければならない。」

「こうであってはならない。」

 

例えば、幼少期にお金で苦労した人が、その経験を原動力に成功を収めることがあります。

 

執着は、大きなエネルギーになります。

だからこそ、人を成功へ導くこともあります。

 

しかし同時に、その執着が視野を狭め、結果をコントロールしようとするあまり、大切なものを失ってしまうこともあります。

 

執着が強い人ほど、結果を手放すことができません。

あらゆる手段を講じ、何とか思い通りの結果を得ようとします。

 

そして、その粘り強さが成果につながることも少なくありません。

しかし、どうしても思い通りにならない現実に何度も直面したとき、人はようやく「結果をコントロールすること」を手放します。

 

これは夢を諦めることではありません。

「すべてを自分の思い通りにできる」という思い込みを手放すことです。

 

その瞬間、人のBeingは一段成長します。

 

Doingの成長が「足し算の成長」だとすれば、

Beingの成長は、「引き算の成長」と言えるのかもしれません。

 

人は、何かを身につけることで前へ進みます。

そして、何かを手放すことで器を広げます。

 

一見すると矛盾しているようですが、この「足し算」と「引き算」を繰り返すことで、人は少しずつ、自分を拡大させていくのだと思います。

 

その結果、昨日までは見えなかった景色が見えるようになり、これまで解決できなかった問題にも、新しい視点で向き合えるようになる。

 

私は、この「足し算」と「引き算」を繰り返すことで、昨日まで見えなかった景色が少しずつ見えるようになり、自分を縛っていた思い込みからも少しずつ自由になっていく。

それこそが、人間の成長なのだと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

著者プロフィール 渥美崇史

  • 1980年静岡県浜松市生まれ、浜松市在住。
  • 2003年大学卒業後、ヘルスケアに特化した経営コンサルティンググループ、株式会社日本経営に入社し、医療・福祉の人事コンサルティングを行う。
  • 2010年から同社でのマネジメントスクールを新規に立ち上げる。
    次世代の組織運営とリーダーのあるべき姿を模索する中で、「学習する組織」「U理論」「NVC」など、人と組織の覚醒と進化を促すソーシャル・テクノロジーに出会い、自社の部署運営や同スクールでの実践を繰り返しながら延べ約30,000人以上のリーダーを支援する事業に成長させる。
  • シニアマネジャーを経て、13年間務めた同社を退社。
  • 2018年、株式会社ピュアテラックスを設立する。
  • 趣味は、マラソン、ピアノ、キャンプ、書道、華道。座右の銘は「人事を尽くして天命を待つ」
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