人材育成は地球視点で

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本当の全体最適は地球視点

人材育成とは何をすることなのか?と問われれば、一言で言えば、「才能を開花させること」であると私は思います。

もう少し言えば、個の才能を発掘し、それが花開くための舞台を用意することです。

そのときに大切なことは、組織の視点だけで部下の姿を観るのではなく、一人の人間としてその人の姿を観ることではないかと思います。

組織の視点が強すぎると、どうしても現状のやるべき業務、役割に対して、部下の能力は到達しているのか、していないのか、という画一的な見方になってしまいます。もちろんそれも必要なのですが。

ただ、そのもう一方で、今の業務や役割は一旦脇に置き、この人は、どんな個性があるのか、どんな特徴があるのか、どんな才能があるのか、という視点で観ると、その人の活かし方、伸ばし方、というのが見えてくるときがあります。

極論を言えば、例えば、個性的な絵が描けるとか、歌が抜群に上手いとか、料理がプロ並みに上手いとか、今の仕事と全く関係ないような才能があったとします。

組織の視点から観れば、それは必要のない才能かもしれません。

しかし、上司と部下という関係性を越えて、一人の人間として向き合ったとき、それはとても大きな才能として見えるはずです。

そして、もっと言えば、その絵が仮に多くの人の心を動かすぐらいのものであるのであれあれば、組織にとって仮に損失であったとしても、本人がその才能に気づくことを助け、そちらの道を後押しできる、自分が一番の応援隊長になれる、それぐらいの心持ちで関われることができたら、それはきっと素晴らしい指導者なのだと私は思います。

組織の枠だけで見るとどうして見えてこないもの、こぼれ落ちてしまうものがあります。

もちろん仕事でやっている以上、成果を出してもらわないと困る、そのための能力開発をするのが上司の役割であることも事実です。

ただ、その視点だけでは、どこか機械的であり、本当の意味で人を育てるということはできないのではないかと思います。

自分たちの職場、組織にとって必要なスタッフに育てる、そこから一段上げて、社会にとって必要な人間を送り出す、という目線で見てみると、また違った部下との関わり方、部下の姿が見えてくるのかもしれません。

よくマネジメントの意思決定は全体最適と言いますが、本当の全体最適とは組織全体にとってどうかではなく、社会全体にとってどうかという地球視点ではないかと思います。

それは、突き詰めるところ、あらゆる意思決定の最終基準は、それは地球が喜ぶ選択かどうか、という一点に尽きます。

VUCA時代における人材育成

誤解を恐れずに言えば、未だになお軍国主義的な人材育成のあり方が、教育現場から始まり企業経営の中に根強く残っています。

それは、国や組織の発展にとって必要な人材を育成するために、必要な技術や思想を浸透させ、順々で勤勉な人材を育成するというコントロールの教育哲学です。

答えが明確な成長社会においては、強いトップリーダーとその指示に従う従順な社員によって大きく経済成長を遂げました。

しかし、今はVUCA(Volatility=変動性、Uncertainty=不確実性、Complexity=複雑性、Ambiguity=曖昧性)の時代と言われており、今回の新型コロナウイルスのような疫病や自然災害、急速なテクノロジーの発展など、環境変化が激しく誰もが先を予測しえない時代です。

そうのような環境においては、従来のように従順な社員を量産するやり方は、言われたことを何の疑問も持たずに遂行するという社員の思考停止を招き、緊急時における意思決定の遅さ、組織ぐるみによる不正の隠蔽工作など、近年繰り返される様々な内部崩壊の原因となっていることは否めません。

過去正解だったやり方は未来も正解とは限らない、そんなことはだれでも頭では分かりながらも、結果、私たちは過去やったことが最も安全な方法として採用してしまう。

しかし、経営環境の変化が激しい現代においては、これまでの常識がいつ非常識になるかは分かりません。

だからこそ、そういった囚われから解放され、自由な思考ができるかどうかが、まずもって指導者に求められてきているのではないかと思います。

答えのないVUCA時代に求められる人材は、べき論や同調圧力、過去の成功体験に縛られることなく、自分の心の奥底にある真善美と繋がり、自由な発想と思考、そして勇気ある一歩を踏み出せる人材です。

そのためには、組織を成長させるために必要なスキルや思想を注入するという1wayのアプローチではなく、そいういった組織の期待を示しながらも、対話によって本人の中に眠っている内発的な炎をいか育んでいくか、という2wayのアプローチが必要とされます。

スミレはスミレのままでいい

SMAPの解散から、3年半が経過し、中居正広さんもジャニーズ事務所を退社しました。

嵐も2020年末での活動停止を発表しています。

組織という巨大な意思の中でも、間違いなく個の意思が主張しやすい時代になってきています。

これは組織が社員を守るという主従関係が崩壊し、組織と個の関係性が対等になってきている表れでもあります。

そして、この流れは今後急速に加速していきます。

コロナショックは、国の支援は待ってられない、救世主のようなリーダーも存在しない、盲目的に何かに期待するのではなく、自分が自分の一番の救世主となるべく、自らの頭で考え、自らの足で立つ必要があると、国民の自立心を一気に加速させたと思います。

個の自立が加速する中、今、組織がそれに耐えうる器なのかどうかが試されています。

組織の論理で個を押さえつければ、自立を求める個は益々組織を離れていくのは必然であり、組織の器を広げていくことが、現在のVUCA時代の経営における必要条件と言えます。

だからこそ、指導者は何か答えを与えるという姿勢ではなく、相手の中にあるものを共に育むという姿勢が求められるのではないかと思います。

今まで地中の奥深くで眠っていた芽が、ぞくぞくと土から顔を出してきています。

その芽の種が一体何なのか、向日葵なのか、紫陽花なのか、薔薇なのか。

花はその種の通りにしか咲きません。向日葵の種は向日葵にしかならず、どれだけ薔薇になってほしくても薔薇にはならないのです。

当たり前の話です。

人間も同じで、持って生まれた種の通りにしか咲けないのだと思います。

昔、天才数学者である、岡潔氏が言いました。

「私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人間に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろあとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだ、と答えてきた。私について言えば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているだけである」と。

私は私であっていい。

あなたはあなたであっていい。

よき指導者とは、その種が何であるかを見極め、その種がその種の通り花を咲かせることを手助けし、見守ることができる人ではないかと思います。

人材育成は組織視点ではなく地球視点、そう捉えると、人材育成はもっと自由で、色鮮やかなものになるのではないでしょうか。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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